今年前半の観劇記まとめ、その1~東宝ミュージカル「FUN HOME」

先月いらしたお客様、とてもミュージカルがお好きな方で、施術中にミュージカル談義で盛り上がりました♪と言うことで(?)、今年前半に観て、記事を書いていなかったのをアップします

 

東宝ミュージカル「FUN HOME」東京公演

1、東宝ミュージカル「FUN HOME」@シアタークリエ(東京) 2018年2月

 

派手さはないのですが、静かに心に染み入る素晴らしい舞台でした。

 

写真は、東京公演のプログラム。

 

会場のシアタークリエ、日比谷にあって初めて訪れましたが、とても見やすくて雰囲気も良い劇場でした。(ふと、ここで「Aspects of Love」を観たいと思いました…四季のですけど)

主人公を3人が演じるという演出が巧い

アリソン・ベクダルが2006年に発表した、同名の自伝的コミックが原作。

 

舞台の奥には、家を模したパネルがあり、その前に少人数のオーケストラ。上手側には机があって、大人のアリソンが自分の漫画を書くために昔のエピソードを思い出す形でストーリーが進みます。

 

幕開けのアリソンの台詞が印象的。

「父も私も、同じペンシルバニアの小さな町で育った。

そして父はゲイだった。

そして私はレズビアンだった。

そして父は自殺した。

そして私は・・・レズビアンの漫画家になった。」

※おけぴ感激!感激レポ http://okepi.net/kangeki/1266 より転載させていただきました。

 

ちょっと重い感じのする台詞ですが、ストーリーは普通の家族の物語。

観ているうちに、ゲイとかレズビアンとかということは気にならなくなりました。

 

これは、主人公のアリソンを、小学生時代、大学時代、大人と3人の俳優が演じるという演出の効果もあるような気がします。

 

例えば、大学時代のアリソンが父親ブルースと言い争いをする場面。

それを大人のアリソンが「補足説明」を入れながら客観的に見ているのですが、観客は大人のアリソンと同じ視点になるので、自分の昔を思い出すような感覚になるのですね。

 

この効果で、特殊な家族の話しではなく、どこかに自分自身や自分の家族を反映させながら観ていて、私も胸の奥にあるチクチクした思い出が刺激されるような感じがしました。

家族は、理解しあえるのかどうか?

観終わってから思ったのは「家族は、本当に理解しあえるのか」ということでした。

 

「家族だから何でも分かる。理解しあえる」という話しがあったりしますけど、実際はそんなに簡単じゃなくて、「家族だからこそ言えない、隠したい」ということも、少なからずあると思うような気がします。

 

 大人のアリソンは、終始客観的にストーリーを見ているのですが、唯一時間の軸を越えて父親と語るシーンがあります。

そこで歌われる「電話線」という歌が、「何か言わないと、でも言えない、次の信号までに言わないと…」と、理解したい、何か言いたい、でも上手く言葉にできないという気持ちのせめぎ合いを上手く表していて切ない。

 

父親も、自分の気持ちのままに生きたい、でも理想の父親像や家族への責任感もある、そういう「言いたいけど、隠さなければ」というギャップの中で苦しんだのではないかなと思います。

 

でも、全く理解しあえないかと言うと、やっぱり家族だからこそ分かる感覚や繋がりがあることも事実で、それが幕切れの「父親の飛行機ごっこで感じたバランス感覚」なのかもしれません。

キャストの皆さんの素晴らしさ&再演希望

キャストの皆さんも素晴らしいかったです。

 

大人のアリソンの瀬名じゅんさん、自分の家族のことをずっと冷静に見ていたのに、上記の「電話線」のシーンで感情があふれ出るのが印象的。

 

大学生のアリソン、大原櫻子さん。とても伸び伸びした歌声と演技。もっとこの方のミュージカルを観たいと思いました。

 

小学生のアリソン、笠井日向さん/龍杏美さん(この日のキャストは、どちらだったか…)、自分がレズビアンであることを自覚する「鍵の束」のシーンが逸品。

 

父親ブルースの吉原光夫さん。自分自身の中にあるギャップや、社会的な責任感とか、様々なものの中で追い詰められていく様子が苦しい。

 

母親ヘレンの紺野まひるさん。どこまで夫や娘のことを認めて受け入れていたんだろうか、辛かっただろうな。

 

もう今回の公演は終わっていますが、再演希望。いろんな場面が、未だに鮮明に思い出されます。

次回観た時には、また違った見方ができるのかもしれません。楽しみです。